E.S.Cheers!! - #Eurovision 2017-

ヨーロッパで開催される年に一度の音楽祭ユーロビジョン・ソング・コンテスト(ESC)の最新情報などをお届けします。

2016年03月

【ESC2016】ラトビア:ソロデビュー曲はAminataプロデュース Justs登場



ユーロビジョン2016ラトビア代表は、Justsの「Heatbeat」に決まりました。

うねるような重低音が印象的なエレクトロナンバーに仕上がったこの楽曲は、昨年ラトビア代表を務め、7年ぶりの決勝進出に貢献したAminataがプロデュースしています。 
 
AminataLove Injected」 ユーロビジョン2015決勝より)

EDMで多用されるゴリゴリのシンセサウンドの中に、時折現れるエキセントリックで異国感を感じさせるリズムが絡み、独特な世界観を作り上げていくのがAminataサウンドの持ち味ですが、今回はどちらかというと、エキセントリックなリズムが鳴りを潜め、聞きやすさにシフトした作品に仕上がっています。


〈Justsのプロフィール〉
Justs(本名:Justs Sirmais)は1995年に、ラトビアの首都リガに接する街ケカヴァで生まれました。

6歳の頃から音楽の道へ進み始めたというJustsは、Riga Dom Cathedral Choir Shhoolで音楽理論、ピアノ、舞台芸術、ジャズ理論、即興演奏、セッションなどを学んだそうです。

16歳の頃からストリート・ミュージシャンとして音楽活動を開始したJustsは、ラトビアのファンクロックバンドTaxFreeやジャズバンドBunch of Gentlemen等と共演し、実績を重ねていきながら、リガとパリの間をギター一本でヒッチハイクしたり、精神疾患を抱えた子どもたちを相手に音楽の先生をしたり、人生の糧となる挑戦へも次々に挑んだのでした。

Tax FreeLatvijai(ラトビア)」)

ここまで音楽一筋で生きてきたのかと思いきや、実は学業の成績も優秀なのだそうで、数学でトップの成績を残してリガの歴史ある高校(ギムナジウム)を卒業したというエピソードも持っているんです。 

音楽も頭脳も優秀なJustsは、現在Riga Teacher Training and Educational Management Academyに在学し、ボーカルコーチになるための勉強を積んでいます。ゆくゆくは自身で音楽学校を設立するという大きな夢を持っているというJusts。今の勉学はそのための第一歩なのだそうです。 

現在、友人とともにラトビアの音楽やミュージシャンを紹介するアプリの開発にも乗り出しているというJustsは、Amintaプロデュースのもと、2016年のラトビア国内予選「Supernova 2016」に出場。ソロシンガーとして初めて公の舞台に立ったJustsは、見事ラトビア代表の座を獲得したのです。


ユーロビジョン2016ラトビア代表Justsは、現地時間5/12に開かれる準決勝2日目に出場します。
2年連続の決勝進出を決めることができるのか、大きな夢を背負ったJustsのパフォーマンスに要注目です。


参考:ESC公式、Wikipedia"Justs Sirmais"、ESCKAZ 

【ESC2016】クロアチア:ナンバーワンボイスNina Kraljić参戦



ユーロビジョン2016クロアチア代表は、Nina Kraljićの「Lighthouse」に決まりました。

今年のユーロビジョンはいつになく英語詞でのエントリーが多く、この楽曲も全編英語詞で綴られた楽曲ではありますが、Ninaの持つ伸びやかで独特の節回しが印象的な歌声や、バルカンの民俗音楽をベースに作り上げられたサウンドで、個性的で耳に残る一曲に仕上がっています。 欲を言えば、クロアチア語で歌われたバージョンも聴いてみたいところです…


〈Nina Kraljićのプロフィール〉
Nina Kraljićは1992年に、クロアチア中部のシサク=モスラヴィナ郡にある街Lipovljaniで生まれました。

彼女は小さい頃から歌を歌い始めていたそうで、数々の音楽プロジェクトや、アニメ映画の吹き替えに参加する中でテクニックを磨いていったのだそうです。

Ninaの名が初めてクロアチア中に知られることとなったのは2009年のこと。
オーディション番組「Super Talent(クロアチア版Britain's Got Talent)」 へ出場し、綺麗な歌声が話題になったのです。
 
Nina KraljićI Dreamed A Dream」カバー Super Talentより)

同じ年、本家Britain's Got Talentでスーザン・ボイルが歌い、世界中で大きな話題となった「I Dreamed A Dream(夢破れて)」 を披露したNina。彼女もオーデションで見事合格となり、決勝ステージまで進むこととなったのですが、結果は10位。結果を残すことができませんでした。

それから6年経った2015年、NinaはHRTで昨年放送されたThe VOICE Croatiaの第一シーズンに出場。再びオーディション番組に挑戦することとなったのです。

それではここで、The VOICE恒例のブラインドオーディションの模様をご覧ください。
彼女は果たして何人の審査員を振り向かせることができたのでしょうか?
 
Nina KraljićBeneath Your Beautiful」Labrinthカバー The VOICE Croatiaより) 

ブラインドオーディションの結果、2人の審査員を振り向かせることに成功し、見事合格を飾った彼女は、その後も順調に勝ち進んでいきます。
 
Nina Kraljić and JacquesEuphoria」Loreenカバー The VOICE Croatiaより) 

ブラインドオーディションで一番初めに振り向いてくれた審査員Jacquesとこんな素晴らしいデュエットも披露した彼女は、この番組で見事優勝し、初代クロアチアナンバーワンボイスの座に輝いたのです。

優勝後、Ninaはユニバーサルミュージックと契約し、シングル「Zaljuljali Smo Svijet(動揺する世界)」でプロデビューを果たしました。
 
Nina KraljićZaljuljali Smo Svijet」) 


そして2016年、彼女はHRTの内部選考の結果、ユーロビジョン2016クロアチア代表として出場することが決まったのです。

2013年を最後に2年連続で出場辞退していたクロアチア。Ninaの歌声で決勝への切符を勝ち取ることができるのでしょうか?

ユーロビジョン2016クロアチア代表Nina Kraljićは、現地時間5/10に開かれる準決勝1日目に出場します。


参考:ESC公式、Wikipedia"Nina Kraljić"、HRT公式(クロアチア語)

【ESC2016】アゼルバイジャン:トルコとアゼルバイジャンのThe VOICEファイナリスト登場



ユーロビジョン2016アゼルバイジャン代表は、Samraの「Miracle」 に決まりました。

彼女のパワフルな声に合ったスケール感のあるミディアムバラードナンバーに仕上がっているこの楽曲は、「奇跡」という、ちょっとおとぎ話のようなタイトルでありながら、夢にむかって突き進んでいく一人の人間の強い思いを描いた歌詞に仕上がっています。 

今回のアゼルバイジャン代表楽曲は、内部選考で歌手と楽曲が選定されましたが、楽曲に関しては、国内外から寄せられた400にも及ぶエントリーから選ばれました。 なお、今回の楽曲は、スウェーデンの作曲家が手がけたナンバーとなっています。


〈Samraのプロフィール〉
Samra(本名:Samra Rahimli) は1994年にアゼルバイジャンで生まれました。
アレサ・フランクリンやダイアナ・ロス、ビヨンセなどに影響を受けていた彼女は、やがて歌手を目指すこととなります。

「ユーロビジョンに出場するのが夢だった」と語るSamraは、2012年にユーロビジョンの国内予選に挑戦します。
2011年大会での初優勝を受けて、アゼルバイジャンで初開催されるユーロビジョン。母国代表の座が懸かっていた国内予選に16歳で挑戦した彼女でしたが、惜しくも敗退し、代表の座をSabina Babayevaに譲ることとなりました。
 
Sabina BabayevaWhen The Music Dies」 ユーロビジョン2012決勝より) 

ユーロビジョン代表の座を掴むことができなかった彼女は、その後Azerbaijan State University of Culture and Artsに進学し、歌声に磨きをかけていくこととなります。

そんな彼女に転機が訪れたのは2015年のこと。
Samraは2015年にトルコで開かれたO Ses Türkiye(トルコ版The VOICE)に出場し、決勝ラウンドまで進出したのです。 トルコ版The VOICEといえば、昨年のアゼルバイジャン代表Elnur Huseynovも2014年に挑戦し、優勝していましたね。 

トルコ版The VOICEでは惜しくも優勝を逃してしまいましたが、実はSamraは、同じ年に開催されていたアゼルバイジャン版のThe VOICEにもエントリーしていました。
The VOICEといえば、おなじみのブラインドオーディションですが、彼女は果たして何人の審査員を振り向かせることができたのでしょうか?
 
SamraWrecking Ball(マイリー・サイラスのカバー)」 The Voice of Azerbaijan 2015より) 

彼女の歌声は、アゼルバイジャン版The VOICEの審査員4人全員を振り向かせることに成功したのです。 
アゼルバイジャンでは決勝まで進むことができたのですが、ここでも彼女は優勝の座を逃すこととなってしまいました…

2012年のユーロビジョン国内予選、2015年のトルコ版The VOICEとアゼルバイジャンThe VOICEと、優勝の座を尽く他者に譲る格好となってしまったSamraですが、アゼルバイジャンの放送局ITVは今年のアゼルバイジャン代表を彼女に定め、楽曲のコンペを開催。国内外から寄せられた400曲もの楽曲の中から、内部選考により「Miracle」が選ばれました。


幼い頃からの夢を追い続け、ついにその夢を掴んだSamra。今回の楽曲は、そんなSamraにピッタリの楽曲かもしれません。
ユーロビジョン2016アゼルバイジャン代表Samraは、現地時間5/10に開かれる準決勝1日目に出場します。、


参考:ESC公式[1],[2]、Wikipedia"Samra Rahimli"

アジア版ユーロビジョン 来年開催へ

〈ついに開催へ アジア版ユーロビジョン〉
オーストラリアの放送局SBSが、ユーロビジョン・ソング・コンテストのアジア版の制作に関して、EBU(欧州放送連合)と独占契約を結んだことを発表しました。 

これが実現すれば、早ければ来年にも、アジア太平洋地域を対象にしたコンテスト形式の音楽番組が放送されることになりそうです。 

オーストラリアSBSは、傘下の制作会社Blink TVとともに、ユーロビジョン・ソング・コンテストのフォーマットを採用した音楽番組の制作に取り掛かるとし、2017年の開催を目標に、現在スポンサーや参加国の募集を行っているということです。 


〈アジア版の開催は過去にも…〉 
ユーロビジョン・ソング・コンテストのフォーマットを採用したアジアの音楽番組は、過去にも数回行われていました。

1985年から1987年の間には、ABU(アジア太平洋放送連合)が主催する「ABU Popular Song Contest」が開催され、14カ国が出場。韓国とニュージーランド、オーストラリアが優勝を飾っていたのだそうです。 

1989年から1991年の間には、同じくABUが制作に関わった「ABU Golden Kite World Song Festival」がマレーシアで開催。この大会にはアジア太平洋地域のみならず、旧ユーゴスラビアやフィンランドも出場していたのだそうです。

その後も各地で散発的にコンテスト形式の音楽番組や、アジア各国からアーティストを招いた音楽祭が開催されるようになりましたが、いずれもユーロビジョン・ソング・コンテストのように長く続くイベントとはならなかったのです。


〈二つのABU音楽祭〉
2012年から、ABUでは二つの音楽祭を開催しています。

ひとつ目は、ユーロビジョンと同じくコンテスト形式で開かれる「ABU Radio Song Festival」。
こちらは、レコード会社と契約をしていない新人アーティストが出場しており、アジア太平洋地域のアーティストの登竜門的番組となっています(なお、日本では放送されていません)

今年は4/26に中国で開催。9つの国から12の楽曲がエントリーされ、ナンバーワンソングが選ばれます(この大会では、1つの国から最大2つの楽曲エントリーが可能になっています)。 

ふたつ目の音楽祭は、毎年秋にABU総会に併せて行われる「ABU TV Song Festival」。
こちらは、アジア太平洋地域で活躍中の人気アーティストなどが出場していますが、コンテスト形式ではないため、アジア太平洋地域のショーケース的な番組になっています。日本では、毎年年末にNHKで録画放送されています。

過去にPerfumeやSEKAI NO OWARIなどが日本代表として出場したATSF。今年はインドネシアのジャカルタで開催される予定です。  


〈アジア版ユーロビジョンの気になる今後〉
ABUでは現在、2つの音楽祭が催されていますが、早ければ来年にも開催される予定の「アジア版ユーロビジョン」によって、既存の音楽祭はどうなってしまうのでしょうか?

ヨーロッパに比べ、国家間の通信インフラや放送環境の差が大きいであろうアジア太平洋地域で、ユーロビジョンのような大規模な音楽イベントが成功できるかどうか、オーストラリアSBSや(今後協力するであろう)ABUの手腕も試されそうです。


日本のJ-POP、韓国のK-POP、香港や台湾のC-POPのほか、英語圏で活躍するアーティストを多く排出しているオーストラリアやニュージーランド、ボリウッド映画とともにメジャーな存在となりつつあるインド音楽など、アジア太平洋地域には元気なポピュラー音楽が多数点在しています。

アジア版のユーロビジョンが、これらを結びつける存在となるのか。今後の動きに注目していきたいところです。


参考:ESC公式、Wikipedia"ABU Song Festivals" 、Australia Networks"Eurovision Coming to Asia? 20 Countries Join"、Eurovoix World"ASIA: ABU TV CUP SONG CONTEST TO BE HELD IN 2017"

【ESC2016】ブルガリア:Poli Genova 5年ぶりにユーロビジョンのステージへ



ユーロビジョン2016ブルガリア代表は、Poli Genovaの「If Love Was A Crime」 に決まりました。

ブルガリアのフルート奏者Teodosi Spasovによるイントロのサウンドが非常に印象的で、全体的にキャッチーな一曲に仕上がっています。

ブルガリア代表の楽曲としては珍しく、全編ほぼ英語詞で描き上げられていますが、サビに「О, дай ми любовта(Oh, give me love)」というブルガリア語の一節を耳に残る形で挿入していて、イントロのフルートのフレーズとともに、曲に強い個性を与えています。

この楽曲は、ユーロビジョンのみならず、ブルガリアのテレビ局BNTで現在放送中のサスペンスドラマ「Undercover」のテーマ曲としても起用され、国内で話題を呼んでいるようです。 


〈Poli Genovaのプロフィール〉 
Poli Genova(本名:Poli Plamenova Genova)は1987年にブルガリアの首都ソフィアで生まれました。

Poliは4歳の頃から、ブルガリアのキッズユニットBon-Bonのメンバーとして音楽活動を開始。脱退し、ソロで活躍している現在も、Bon-Bonのレコードレーベルの創設に携わったり、Bon-Bonと共にユニセフやSOS子どもの村の慈善活動に参加するなど、このユニットと深く関わりを持っているそうです。

ブルガリアのリュボミール・ピプコフ国立音楽学校でクラリネットを専攻し卒業した後、彼女はNAFTA(National Academy for Theatrical and Film Arts)で映画監督の勉強に励みます。

その後、「X Factor」で審査員として出場したり、「Dancing with the Stars」でダンスに挑戦したり、「Your face sounds familiar」でものまねにチャレンジするなど、数々のテレビ番組で活躍し、ブルガリアを代表するマルチタレントの一人となった彼女。ユーロビジョンへの挑戦は今回が初めてではありません。

2005年と2006年にユニットのメンバーの一人としてブルガリアの国内予選に挑んだ後、2011年にブルガリア代表として選ばれ、デュッセルドルフのステージに立ちました。 
 
Poli GenovaNa Inat」 ユーロビジョン2011準決勝2日目より)

準決勝2日目のステージに立ち、迫力のステージで魅せた彼女ですが、結果は12位。48ポイントを獲得したものの、決勝進出は果たせませんでした。


ブルガリア自身も、2007年以来ずっと決勝進出を果たせないまま、成績低迷と財政面の関係で2014年と2015年の大会出場を断念していました。
今回の出場はPoli自身にとっては5年ぶりの復帰、そしてブルガリアにとっても3年ぶりの復帰となり、かつ、「決勝進出への再挑戦」という大義のかかったステージになっています。

Poli Genovaが出場する準決勝2日目は、現地時間5/12に開かれます。 


参考:ESC公式、Wikipedia"Poli Genova" 
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