ユーロビジョン2016マケドニア代表は、Kaliopiの「Dona」に決まりました。

今回ユーロビジョンに二度目の出場を果たしたKaliopi。2012年に出場した時はハイトーンを駆使した情熱的なロックナンバーでしたが、今回はロックバラードで愛と絆を力強く歌い上げています。作詞はKaliopi自身の手により行われ、作曲はデビュー当時からプロデュースに関わり続けているRomeo Grillの手によるものです。

今年は2009年以来久々に、(コソボを除き)旧ユーゴ圏が揃ってユーロビジョンに出場する事になりましたが、出場6カ国のうち自国語の歌詞でエントリーしたのはボスニア・ヘルツェゴビナとマケドニアのみ。マケドニアは2014年と2015年は英語詞でのエントリーが続いていて、今回は久々のマケドニア語によるナンバーとなっています。


〈Kaliopiのプロフィール〉
Kaliopi(本名:Kaliopi Bukle)は1966年にマケドニア西部の都市キチェヴォで生まれました。

幼い頃から音楽に興味を抱いていたという彼女は、9歳の頃から児童音楽コンクールに出場したり、合唱団に入ってヨーロッパ諸国を回るなど、積極的に音楽活動を行っていたそうです。

彼女がプロシンガーとしてデビューしたのは1984年のことでした。音楽学校に進学し、ユーゴスラビアの音楽コンクールで3位入賞を果たした後、音楽プロデューサーRomeo Grillの手により結成されたロックバンド「Kaliopi」のリードボーカルとして活動することになったのです。

翌1985年には音楽祭Festival Opatijaにて最優秀パフォーマー賞を受賞、ファーストアルバム「Kaliopi」をリリースした1986年にはクロアチアの音楽祭Split Festivalで最優秀新人賞を受賞し、ユーゴスラビアで知名度を高めていきました。

しかし、音楽祭やテレビへの出演などが相次ぎ、人気絶頂の中にいた彼女はスイスに移住し、ほどなくしてバンドは解散してしまいます。Kaliopiは約10年間、音楽から遠ざかる生活を送ることにしたのです。

そんな彼女が音楽に復帰したのは1996年のこと。マケドニアの音楽祭「Skopje Fest」への出場がきっかけでした。
 
KaliopiSamo ti(あなただけ)」 Skopje Fest1996より)

ソロシンガーKaliopiとして復帰した彼女は、ユーロビジョンの国内予選でもあったこの音楽祭で優勝し、ユーロビジョン1996マケドニア代表として出場することとなったのですが、非公開の事前審査により落選してしまいます。

この年はユーロビジョンに参加を希望する国が相次いでいた年で、まだ準決勝制が導入されておらず、どのように参加国を絞るか模索していたそうです。
苦肉の策として、本放送前にオーディオ審査で参加23カ国を決めるという策に打って出たのですが、審査の不透明性は参加各国から避難が相次ぎ、特に開催資金の拠出額が多い国の一つであったドイツが落選したことは大きなトピックとなり、後にBig5(=最大拠出国が落選しない制度)が誕生したり、準決勝制が導入されることとなったのです。 

結局ユーロビジョンに出場できなかったKaliopiですが、その後はより積極的に音楽活動を行っていきました。
自身のアルバムリリースのみならず、ほかのアーティストへの楽曲提供など、シンガー・ソングライターとしてマケドニア国内外で精力的な活動を行い続けました。

2012年、Kaliopiはマケドニアの放送局からの招待を受け、ユーロビジョン2012マケドニア代表として念願の初出場を果たしました。
 
KaliopiCrno I Belo(白と黒)」 ユーロビジョン2012決勝より)

準決勝を9位で通過した彼女は、2008年以降準決勝敗退が続いていたマケドニアを決勝に導くこととなったのです。


その後も精力的にアルバムリリースやアーティストへの楽曲提供、テレビ出演などを重ねてきた彼女は、ソロ活動開始20年という節目を迎える2016年に、マケドニアの放送局MKRTVからの誘いで再度ユーロビジョンに出場することが決まりました。

ユーロビジョンのファンから多くの声援を受けて2度目の出場を決めたKaliopiは、現地時間5/12に開かれる準決勝2日目に出場します。彼女が出場した2012年を最後に、昨年まで準決勝敗退が続いているマケドニアを再び決勝へ導くことができるのか、要注目です。


参考:ESC公式、Wikipedia"カリオピ","ユーロビジョン・ソング・コンテスト1996"、Kaliopi公式ページ