E.S.Cheers!! - #Eurovision 2017-

ヨーロッパで開催される年に一度の音楽祭ユーロビジョン・ソング・コンテスト(ESC)の最新情報などをお届けします。

ESC2013

【ESC2013】モルドバ:実は2年連続出場 モルドバのスター Aliona Moon


ユーロビジョン2013モルドバ代表はAliona Moonの「O Mie」に決まりました。
国内予選では英語詞の「A Million」で勝ち抜いたAliona。予選で自国語詞だったものを英語に直して出場する例はよく見られますが、予選で英語詞だったものが自国語詞になって出場するというのは珍しい例ではないでしょうか。モルドバ語(≒ルーマニア語)でのモルドバ代表のエントリーは、2009年以来のことです。


〈昨年はバックコーラスで 今年はメインステージへ〉
2013_AlionaAliona Moonは1989年生まれ、モルドバの首都キシナウ出身の23歳です。
母の子守歌やモルドバ伝統の音楽を聞いて育ってきたというAliona。子供の頃から歌とダンスを様々なグループに混ざって活動してきたそう。

そんなAlionaが国内で注目されるきっかけとなったのが、2010年に行われたテレビのオーディション番組「Fabrica de Staruri 2 (Star Factory)」への参加でした。Alionaは優勝を逃し、3位という成績でしたが、これをきっかけにモルドバで人気を得ることとなるのです。

昨年アゼルバイジャンで開かれたユーロビジョン2012。モルドバ代表Pasha Parfenyの「Lăutar」で、Alionaもバックコーラスで参加しました。

(2012モルドバ代表 Pasha ParfenyLăutar」)

実は、今年のモルドバ代表曲「O Mie」の作曲・プロデュースを手がけたのは昨年の代表だったPasha。昨年バックコーラスだったAlionaが今年はメインに、昨年メインだったPashaは今年はピアノ伴奏に、ポジションチェンジでの出場となります。

Aliona Moonは5/14の準決一日目に登場します。


〈ユーロビジョン2013 ライブパフォーマンス〉

(ユーロビジョン2013 決勝より)

〈ユーロビジョン モルドバの成績〉
モルドバは2005年にユーロビジョンに初参加します。この年の楽曲、Zdob şi Zdubの「Boonika Bate Toba(おばあちゃんがドラムを叩く)」が決勝で6位を獲得。これはモルドバの過去最高成績でもあります。

(2005年代表曲 Zdob şi Zdub 「Boonika Bate Toba」)

モルドバの決勝進出の勝敗は7勝1敗。2008年に準決勝敗退を一度経験しているのみで、2009年以降は毎年参加しています。

2010年の代表楽曲「Run Away」は、決勝での順位は22位と低かったものの、間奏などで登場するサックスプレーヤーに注目が集まっていました。

(2010年 Sun Stroke Project & Olia Tira 「Run Away」)

この楽曲に登場するサックスプレーヤーはEpic Sax Guyの愛称で人気を呼び、Facebookでコミュニティが立ち上がり、56000人が「いいね!」をクリックしているほか、iPhoneなどのスマホアプリも配信されていました。

記録より記憶に残るエントリーが多いモルドバ。
今年の準決勝は、最高得点を贈り合う仲のルーマニアとは別の組での出場となるため、ルーマニアの力無しでどこまで点を獲得できるのかに注目です。

参考:Wikipedia「モルドバのユーロビジョン・ソング・コンテスト

【ESC2013】エストニア:「新たな始まり」へ一歩を踏み出すBirgit Õigemeel


ユーロビジョン2013エストニア代表は、Birgit Õigemeelの「Et Uus Saaks Alguse(エストニア語で「新たな始まり」)」に決定しました。
新生活を迎える人が多い今の時期にピッタリのバラードナンバーです。


〈アイドルからミュージカルスターへ〉
2013_birgitBirgit Õigemeelは1988年生まれ、エストニアの小さな町コヒラ出身の24歳。家具職人の父と、歌の先生をしている母の間に、4人姉妹の3女として生まれました。

彼女がスターダムに上がるきっかけとなったのは、2007年にエストニアで放送されたエストニア版のアメアイ「Eesti otsib superstaari」の第一シーズンでの優勝です。翌年Birgitはファーストアルバムをリリースし、歌手としての活動を続けていきますが、同時にミュージカルスターへの道へも進んでいきます。

エストニア版のアメアイに出演した2007年には、シェイクスピアの喜劇「ヴェローナの二紳士」でシルヴィア役として出演。2010年には「サウンド・オブ・ミュージック」でマリア役を好演します。

マリアを演じていた2010年、BirgitはエストニアのFemale Artist of the Yearを受賞。歌手としても、役者としてもキャリアを積み重ねて行きました。

そして2013年。Birgitはユーロビジョンのエストニア国内予選で優勝し、見事エストニア代表の座を勝ち取ります。3度目の挑戦で勝ち取ったエストニア代表の座は、彼女だけの力で成し遂げたものではありませんでした。
エストニアの首都タリンにパートナーとともに新居を構えたBirgitは、実は現在妊娠中。音楽キャリアとしても、一人の女性としても、Birgitは「新たな始まり」へ一歩を踏み出そうとしています。

Birgitは、5/14の準決勝一日目に登場します。

参考:ESC公式、Wikipedia"Birgit Õigemeel"


〈ユーロビジョン2013 ライブパフォーマンス〉

(ユーロビジョン2013 決勝より)


〈ユーロビジョン エストニアの成績〉
エストニアは1994年に初参加しました。
初参加時にもらった点数はたったの2点だったエストニアですが、1996年に再び参加してからはメキメキと頭角を現します。

そして、2001年にエストニアはこの曲で優勝します。

Tanel Padar, Dave Benton & 2XLEverybody」)

エストニアはこの曲で198点を獲得し優勝、翌年2002年にエストニアの首都タリンでユーロビジョン2002を開催します。

2004年の準決勝制導入以降、エストニアの決勝進出の成績は3勝6敗。決して良い成績とはいえませんが、近年は2年連続で決勝進出しています。

3年連続で決勝へと駒を進められるのか?
5/14のエストニアに注目です。

参考:Wikipedia「エストニアのユーロビジョン・ソング・コンテスト

【ESC2013】リトアニア:インディーズシーンから登場 Andrius Pojavis


ユーロビジョン2013リトアニア代表は、Andrius Pojavisの「Something」に決まりました。
Andriusは5/14の準決勝一日目に登場する予定です。

〈インディーズバンドからソロデビューへ〉
2013_andriusAndrius Pojavisは1983年生まれ、リトアニアのユルバルカス出身の29歳です。高校の頃から「No Hero」というバンドで音楽活動を行なっていました。リトアニア教育大学に進学し、首都ビリニュスに移ってからも、「Hetero」というバンドで音楽活動を続けます。このバンドは、ビリニュスで2006年に開催されたEurorock 2006で優勝しました。

その後、彼はアイルランドへ移り、ソロ作品を作り始めます。

2012年、イタリア・ミラノの音楽スタジオMassiveArts Studioでファースト・アルバム「Astuoni (Eight)」を制作し、発表。その後発売されたシングル「Traukiniai (Trains)」はリトアニアのチャートトップ20位圏内に入る好成績を残しています。

今月2人目の娘が生まれたばかりという幸せいっぱいなAndrius。5/14の準決勝一日目に注目です。

参考:ESC公式、Wikipedia"Andrius Pojavis"、oikotimes"CONGRATULATIONS ANDRIUS POJAVIS!"(2013/4/3)


〈ユーロビジョン2013 ライブパフォーマンス〉

(ユーロビジョン2013 決勝より)


<ユーロビジョン リトアニアの成績>
リトアニアは1994年にユーロビジョンに初参加しますが、この大会では1点も得点を得ることができず、最下位となってしまいます。その後は1998年まで不参加が続き、1999年に復帰することとなります。

成績低調が続くリトアニア。準決勝制が導入された2004年以降も、準決勝敗退や、決勝での成績低調が目立っています。ちなみに決勝進出の勝敗は5勝4敗です。

これまでのリトアニアの成績で一番高い順位をつけたのが、2006年のこの曲です。

(2006年代表曲 LT UnitedWe Are The Winners」)

サッカーのチャントのようなメロディーに載せて「We Are The Winners of Eurovision」、「Vote For The Winners」と強気に歌う彼らに結構なブーイングも寄せられていましたが(汗)、結果は決勝で6位。Winnerとまでは行かなかったものの、順位・点数ともにリトアニアの過去最高成績を収めることができました。

ちなみに。昨年のユーロビジョン2012のリトアニア代表は、コーラスを付けずに一人で歌い上げていて、個人的にかなり気に入っています。

(2012代表曲 Donny MontellLove is Blind」)

アイマスクを付けて歌う前半のバラード、片手で側転を決めて歌い始める後半のグルーヴィーなパート。歌、楽曲、パフォーマンスどれを上げても素晴らしく、準決勝は3位で通過していたのですが、決勝では曲順がよろしくなかったのか、結果は14位。個人的には、ちょっと不本意でした…

バルト3国で唯一優勝経験のないリトアニア。まずは決勝進出を決められるのかが鍵となります。
5/14は要注目です。

参考:Wikipedia「リトアニアのユーロビジョン・ソング・コンテスト

【ESC2013】フランス:ビターなサウンド 聴けば聴くほどはまる呪文 「L'enfer Et Moi」


ユーロビジョン2013フランス代表は、Amandine Bourgeoisの「L'Enfer Et Moi(直訳:地獄と私)」に決まりました。
恋に落ち、溺れていく大人な恋愛を妖艶な歌詞とハスキーな歌声、シンプルさサウンドでまとめた一曲です。
聴けば聴くほど味が出る、そんな曲だなぁと思いました。


〈下積み時代からスターダムへ Amandine Bourgeois〉
2013_amandineAmandineは1979年生まれ、フランス中西部にある町アングレーム出身の33歳。
1960年代に流行したヒッピーブームにのって、自由奔放に生きる家族の中に生まれた彼女。小さい頃から歌に興味を持ち、ホイットニー・ヒューストンとデュエットすることを夢見ながら歌やフルートのセッスンに励む日々を送ってきたそうです。

ちなみに、ECS Todayに語ったインタビューによると、母はいつもFrance Inter(フランス国内ニュース専門ラジオ)を聞いていて、父はFrance Culture(フランス国内文化専門ラジオ)を聞いていたため、ユーロビジョンに一切触れずに育ってきたのだとか。ユーロビジョンを見たのは、マネージャーからフランス代表に選ばれたのを伝えられてから、友達と1957年大会から見たのが初めてというのですから、驚きです(笑) 「ユーロビジョンを見たことありますか?」という問いにはっきり「ないです」と答えられるアーティストはおそらく、彼女だけではないでしょうか。

やがて彼女はバンドを結成、トゥールーズ地方の全てのバーを歌って回るという下積みを経験することとなりますが、そんな彼女に転機が訪れたのは2008年。フランスの民放テレビ局M6で放送されていたフランス版のアメアイ「Nouvelle Star」第6シーズンへの出場でした。

(Nouvelle Starでドナ・サマーの「Bad Girl」をカバーするAmandine)

AmandineはNouvelle Starで優勝。その後2009年に発売されたファーストアルバム「20㎡」が好調なセールスとなり、フランスのチャートで5位、ベルギーのチャートで8位を獲得、ゴールドアルバムとして認定されます。

2012年にはロンドンのアビーロード・スタジオで収録したセカンドアルバム「Sans Amour Mon Amour」もリリースされたAmandine。ヨーロッパ進出を目指してユーロビジョン2013に参戦します。

Amandineは5/18の決勝に登場します。

参考:ESC公式、Wikipedia"Amandine Bourgeois"、ESC Today"Amandine Bourgeois, France: ‘Ending last would suck big time!’"


〈ユーロビジョン2013 ライブパフォーマンス〉

(ユーロビジョン2013 決勝より)


〈ユーロビジョン フランスの成績〉
1956年の第一回からユーロビジョンに参加しているフランスは、5度の優勝経験を持つほか、2位を4回、3位を7回経験している強豪国の一つでした。

1977年優勝曲 Marie MyriamL'oiseau et l'enfant」)

しかし近年は、歌詞に用いる言語の自由化で多くの国が英語でエントリーする中、フランス語でのエントリーを続けているフランスは埋もれがちな存在となってしまいます。決勝へのシード権を持つBig5の一つであるフランスは、準決勝制が導入された後も毎年決勝に参加しているものの、成績は低迷しています。

また、大会初期にはルクセンブルグやモナコなど、多く参加していたフランス語圏の国が、近年はベルギーとスイスのみとなってしまったのも、フランスの成績低迷の一因と考えられます。かつてのフランス語圏の勢いは、ユーロビジョンの放送が英語とフランス語の二ヶ国語で行われているという所に名残があるのみ…

ここ数年のフランスでもっともよい成績をおさめたのが、2009年のこの曲です。

2009年代表 パトリシア・カーズ 「Et s'il fallait le faire」)

フランス・シャンソン界の大御所パトリシア・カーズが出場し、決勝で8位を獲得。多くの国が視覚的な演出に走った2009年大会の中で、歌だけで魅せる彼女のステージに高い評価がつけられました。

しかし、その後のフランスはパトリシア・カーズの成績を超えることなく、今に至っています。

Amandineの登場でかつての勢いを取り戻すことができるのか!?
5/18の決勝に注目です。

参考:Wikipedia「フランスのユーロビジョン・ソング・コンテスト

【ESC2013】ギリシャ:今のギリシャ情勢を風刺した一曲か!? 「Alcohol is Free」


ユーロビジョン2013ギリシャ代表は、バンドKoza Mostraとギリシャのレベティカ(大衆歌謡)シンガーAgathon Iakovidisのスペシャルユニットでの出場が決定しました。曲のタイトルは「Alcohol is Free」。

バルカン半島の音楽の要素とスカが上手く溶け合って、陽気に聞こえるけど、歌詞をよく読むと、混迷を極めたギリシャ経済や政府への皮肉にも取れそうな内容だったり… 
3分の中にギュッと色んな要素がつまった、カチッと決まったコラボ曲です。

〈Koza MostraとAgathon Iakovidis〉
Koza Mostraは、2011年に結成された、ギリシャを中心に活動している、スカやパンクにバルカン音楽の要素を組み合わせたミクスチャーバンドです。

メンバーは、
 Ilias Kozas(リードシンガー 1984年生まれ テッサロニキ出身)
 Christos Kalaitzopoulos(アコーディオン担当 プトレマイダ出身)
 Vassilis Nalbantis(トランペット担当 コザニ出身)
 Alex Archontis(ドラム担当 1984年生まれ テッサロニキ出身)
 Stelios Siomos(ギター担当 1980年生まれ テッサロニキ出身)
 Dimitris Christonis(バスギター担当)
の6人組なのですが、今回フィーチャリングボーカルとしてAgathon Iakovidisを迎え入れる際、全員で出場するとユーロビジョンのステージに上がれる人数の制限(最大6人まで)に引っかかってしまうこともあり、今回はバスギターの方が抜ける形での参加となります。

先月、代表曲「Alcohol is Free」のフルバージョンなどが収められたファーストアルバム「Keep Up The Rhythm」が発売されました。

フィーチャリングアーティストのAgathon Iakovidisは1955年生まれの58歳。Koza Mostraのリーダーらと同じくテッサロニキの出身。ギリシャの大衆歌謡レベティカの歌手として1973年から活動を続けています。1981年に活動拠点をアテネに移してからは、ギリシャ国内の様々なアーティストとコラボレーションしたり、ヨーロッパやアメリカなどをツアーで周るなど、より精力的に活動を行うようになりました。

世代もスタイルも超えた二組のコラボレーションは、5/16の準決勝二日目の舞台に登場します。

参考:ESC公式、Wikipedia "Koza Mostra" , "Agathon Iakovidis"、ESC Today "Greece: Koza Mostra release first album Keep up the rhythm"、Facebook Koza Mostra公式ページ


〈ユーロビジョン2013 ライブパフォーマンス〉

(ユーロビジョン2013 決勝より)


〈ユーロビジョン ギリシャの成績〉
ギリシャは1974年にユーロビジョンに初参加しています。
初参加してからしばらくの間は、最高順位が5位と、そこそこの成績を収めていたギリシャですが、2000年以降に頭角を現すようになります。2001年と2004年には3位入賞、そして2005年にはこの曲で優勝します。

(2005年優勝曲 Elena PaparizouMy Number One」)

その後も好調な成績を残し続けているギリシャ。準決勝制が導入されてからの決勝進出の勝率は9勝0敗
この連勝の背景には、隣国キプロスと互いに最高得点の12点を入れ合う仲であることも要因としてあげられるようです… ただ、今回の準決勝はキプロスとは別の日程となるため、隣国の力を借りずに決勝に進めるのかが注目されます。

10回連続の決勝進出を決めることができるのか!?
5/16は要注目です。

参考:Wikipedia「ギリシャのユーロビジョン・ソング・コンテスト




〈欧州危機とユーロビジョン ギリシャの決断〉
今回のユーロビジョンで残念なポイントの一つとしてあげられるのが、欧州危機の煽りを受け、参加費が捻出できず出場を辞退する国が複数出てきたことです。

国の財政危機が深刻なポルトガルをはじめ、スロバキアボスニア・ヘルツェゴヴィナも財源不足により、今大会の参加を取りやめています。2011年まで大会に参加していたポーランドも、同様の理由で2年連続の大会不参加を決めています。

欧州危機の震源地であるギリシャも、今回の大会参加には紆余曲折があったようです。

GREECEJAPAN.COMの記事によると、昨年12月の時点ではギリシャも大会に参加しない方向であったのだとか。ギリシャ政府報道官のシモス・ケディコグル議員は、財源不足に加え、国民感情への配慮として、今回の大会参加を取りやめるべきと発言していたそうです。

ギリシャ国内でのユーロビジョンの放送を担当する国営放送ERTでも大会出場についてかなり議論されたようで、参加費用を賄えるスポンサーが現れない限り、不参加は濃厚だったようです。ギリシャは2000年の時に、同様の理由で参加を取りやめていますが、今回のケースは欧州危機も背景にあり、前回とは質の異なるものと言えるでしょう。

しかし状況は一変し、今年1/16にERTは参加することを決定します。

記事によると、ERTは、ユーロビジョン関連番組の高視聴率を考慮し、ERTに経済的負担のないことを前提に、開催から得られる収益の獲得を模索する方向で参加を決定したのだそうです。深刻な状況に直面している時だからこそ、参加することで国の雰囲気を良い方向にすることもできるのではないか、といったところでしょうか。いずれにせよ、今回のERTの判断は英断だったと思います。

欧州危機により、多くの国が大会出場に躊躇し、不参加する国も出てきていることについて、EBU(欧州放送連合)や大会担当のテレビ局SVTも様々な案で経費削減に取り組み、参加各国の金銭的負担を減らす努力をしています。

今回の開催地がストックホルムではなくマルメに決まったのも、小さめな会場を選ぶことで費用を削るという効果や、地理的にヨーロッパの中心部にあり、移動にかかる費用を削ることができるという効果を見込んでのものだったようです。

ヨーロッパを代表する伝統的な音楽番組を、より持続的に、そしてより多くの国が参加できるように、大会運営に対する姿勢を改める事が必要になっている時なのかもしれません。来年は、今年より多くの国が参加できるようになるといいなぁ…


参考:GREECEJAPAN.COM "ギリシャ、来年のユーロビジョン・ソング・コンテスト不参加"(2012/12/1) , "ギリシャ、最終的にユーロビジョン参加を決定"(2013/1/16)、Wikipedia「ユーロビジョン・ソング・コンテスト2013
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